仮想通貨(暗号資産)/ブロックチェーンを題材にした『ニムロッド』で第160回芥川賞受賞し、最新作『キュー』ではテクノロジーの発展の先にある分散化あるいは究極の中央集権化を見事に描いた小説家 上田岳弘 氏。そんな上田氏がどのようにブロックチェーンをとらえているか、そしてその先を未来をどう思い描くのかなどについて語っていただいた。
仮想通貨やブロックチェーンをテーマにした理由
−『ニムロッド』は仮想通貨(暗号資産)やブロックチェーン、分散化の世界観を題材にしています。それに関して世間の反応はどのように受け止められていますか?
そもそもまだ一般的には仮想通貨というものが、よく分からないテーマだと思われていると感じました。このテーマだから読もうと思ってくれた人もいますし、反対に敬遠してしまった人もいたと思います。
ただ敬遠していた人の中でも、それでも読んでみたら仮想通貨についてよく分かったという声を意外に沢山もらえて嬉しかったですね。作品の中でその仕組みというよりは、仮想通貨を軸にブロックチェーンのより本質的で大切なことを書いたので、それが伝わってよかったです。
ただ確かにこのテーマにしたことで全体としてはいろいろな反響はありました。良し悪しではなくて、仮想通貨やブロックチェーン自体がまだ尖ったものなんだと感じました。例えるなら写真が入って来た時に、撮られたら魂が抜けると多くの人が疑っていた時代に近いですね。
−上田さんは仮想通貨やブロックチェーンのいつ興味を持ち、そして『ニムロッド』のテーマに採用しようと思ったんですか?
マウントゴックスの事件の時にはビットコインの存在は知っていました。特に買ったりはしていなかったですが。
でも僕はFXをやっていたこともあって、仮想通貨自体に違和感は昔から覚えていませんでした。FXもレバレッジをかけていくとほとんど仮想通貨みたいなものじゃないですか、概念として存在するお金みたいになりますよね。
ただその値段がすごく上がった2017年の末ごろに、この値段が高騰していくというのはどういった現象だろうと作家的な興味が芽生えてきたんです。
それでビットコインについて詳しく調べるとホワイトペーパーの提出者の名前がサトシ・ナカモトという日本人名だと知って、それで「今が小説を書くチャンスだ」と感じたんです。
この存在もまだ分からない、でも日本名を名乗っているビットコインを発明した人物を、作家としてうまく動かすことができるのは日本の作家だけだろうと。
これは日本人にパスが上がっている状態だと感じたので書こうと決めました。
−上田さんのもう一つのお仕事である企業経営者としてもお仕事は、ブロックチェーンと関係のある内容なんでしょうか。
いえ、IT系の企業ではありますが ブロックチェーンとは関係はないです。そもそも就職せずに小説家になろうと思っていたのですが、状況といろんな経緯がからまって結果として起業した友人に誘ってもらい、ずっと同じ会社で働いています。
−『ニムロッド』執筆以降も引き続き仮想通貨・ブロックチェーンの分野についてはアンテナを張っていますか?
はい、情報はキャッチしています。ただ仮想通貨・ブロックチェーンに集中してというよりは広くIoTやAIなども含め、ベンチャー業界全体は見ています。そしてそれらの技術はこれからも連動していくと思っています。
ブロックチェーンはインターネットに濃度を付ける技術
−上田さんはブロックチェーンをどのようなものだと捉えていますか?
ブロックチェーンはインターネットに濃度を付ける技術だと僕は思っています。
例えばインターネット上ではフォロアー数などは表示されていますが、それは数字じゃないですか。そして100万人フォロワーがいる人であろうが、エジプトの少女だろうが、1つのアカウントです。
でもブロックチェーンはそこに履歴つまりこれまでの経歴のようなものを書き込んでいける技術なので、インターネットの世界をより現実世界に近づける技術だと感じています。
その濃淡がもしかしたら仮想通貨が現実的な通貨のように感じられる物質感みたいな演出をしているのかもしれないですね。
全てをスキップさせるのがインターネット技術で、そこに濃淡をつけるのがブロックチェーン技術だと思っています。それはある種の抵抗であり質感ですよね。そのようにブロックチェーンを捉えると、見えてくるものがあると思っています。
ただ現在はまだまだビジネスとしては創成期なので、そこになにが適しているのか分かるのはこれですが、僕はブロックチェーンの役割はそこにあると感じています。
ブロックチェーンは、インターネットがスキップしてきてしまった、塗られていない地図にちゃんと豊かな色彩をつけていくイメージですね。ブロックチェーンはインターネットに奥行きを作ろうとしているように僕には見えます。2Dを3Dにしていくような感じですね。
出版×ブロックチェーンの可能性
−出版業界でブロックチェーン技術を活用した新しい可能性について何かお考えのことはありますか?
例えば電子書籍であれば、現在のように単純に作品のファイルコピーを販売するのではなく、その権利を分割して販売したり、日数制限をつけて貸し出すことができるようにしたり、そしてその上で作家にもそのすべてのトランザクションの利益が還元されるような仕組みなど作れると面白いかもしれませんね。
−私たち編集部も出版社で働いているので、その部分に非常に興味があります。例えば上田さんの原稿を最初に読める人は代替不可能なトークンを紐づけて10名に限定して、その10名がそのトークンと作品を読み終わったら次の人に販売できるようにし、二次流通先されるほど価格も変動していくのですが、最終的にはその作品を多くの人が読むような仕組みを作れないかなどと考えていたこともあります
その流れの中にきちんと作家にも、そしてはじめに買った読者や次に読んだ読者にも、流通していくとインセンティブが働く仕組みがつけられるようになれば面白いですね。まさに濃淡の話です。例えば最初に100万円を10人が買いました。そしてそれを広めて10万人が読めば、最初に買った人にも100万円が戻ってきますよいうよというように。
さらにその流通の中で、誰から買うか、その履歴もすべてトレースできるので一定の価値になるかもしれないですね。
今の出版ビジネスの仕組みは、本来はそうやりたかったけど、できなかったらから現在の形なんだと思っています。
それがインターネットを使って間を抜くという力と、ブロックチェーンで濃淡をつけるという力が加わったことで、より面白い出版の仕組みが実現できるようになるかもしれませんね。そのような機会があればぜひ第一号の作品として書いてみたいです(笑)。
『ニムロッド』と『キュー』
−『ニムロッド』で「仮想通貨はソースコードと哲学でできている」という一文があります。上田さんはビットコインがどのような哲学でてきていると考えますか。そして哲学によってできた通貨にどんな哲学を求めますか?
ビットコインは、その発明者であるサトシ・ナカモトは名乗り出ないし、彼が持っているであろうビットコインも売っていない。これはまさに哲学ですよね。
そして通貨に哲学が込められるなら、人々が平等になって、みんなが生まれてよかったと思えるような仕組みができればいいと思っています。世の中にはいろいろな能力の差や考え方の違いなどがありますが、それらを中和できるようなアルゴリズムを盛り込めると面白いですよね。
もちろんインセンティブが全体として稼働しないと、結果的に全体効率を下げてしまうので、全くイコールに中和する必要はないかもしれないですが、全体の進歩を妨げない程度に中和をするアルゴリズムがあればいいですよね。
その全体最適なインセンティブの黄金比が分かれば一番いいと思っていますが、それが今はまだ分からないので、いろいろな通貨が世界観や哲学を持って並列していき、それぞれの割合の元で蠢いていくのがこれからの形なのかもしれないと思っています。
『ニムロッド』では今日的なITを含めた技術が影響を与える世界を写実的に、芥川賞受賞第一作となる『キュー』ではもう少し観念的に突き詰めて、見えてきたことを物語の駆動装置にしています。『キュー』では、「等」と「錐」という二つの概念を基礎とした組織の暗闘を描いていますが、「等」はブロックチェーン的にあらゆるものを分散させていくイメージ、「錐」は旧来のインターネット的に一強総取りのイメージでかいたものです。『ニムロッド』と『キュー』はそう言う意味で関連の深い作品なので、ぜひあわせて読んでほしいですね。
小説家 上田岳弘が思い描く、分散化後の世界
−ビットコインにおけるサトシ・ナカモトの思想は国や中央が管理していたものを民衆へ戻して、分散化をさせようというもだと解釈できます。一方上田さんの『ニムロッド』の中で描かれているのは分散化の末に究極の中央集権になってしまう世界観です。そのように描いた意図を教えてください。
中央集権に対抗して分散し尽くした結果、戻ってきてしまったというようなイメージです。何か意図を込めたというよりは、書き進めているうちに自然とそうなりました。
それが『キュー』で描いた等と錐の概念に繋がっていって、書いている側も不思議な気持ちになりました。
おそらく僕の中で全て効率化して、分散化していくと、逆に究極の中央集権に近づいていくのではないかという危惧があり、それが表現に現れたのだと思います。
−分散化していくと個人は孤独になる可能性があると思います、これから分散化の進んで行った先、どんな結末に人類が至ると予想しますか?
今はたまたま個人が生まれたその形、つまり一個人としてパッケージをされていますが、厳密にいうと例えばAさんとBさんで何か共通することが必ずあるはずなんですよね。
そこでAさんにはあってBさんにはない要素や、反対にAさんにはなくてBさんにはある要素があるとして、そこはそのパッケージを解くみたいなことがもしかしたら技術的に可能になっているかもしれないです。
例えば、精神的にFacebookで繋がった瞬間に人格が誰かと融和するようなこともできるかもしれません。
そのように人々が正しい個々人のパーツというものがすべて分かってしまった時に、仮に因数分解をして最小効率で最大の存在を担保することが生命の目的なのであれば、肉体的に一つにしようというのが、効率だけ考えると正しいんですよね。
これまでは人間自身を改変できないという前提の世の中だったんですが、それができるとなった時におそらく倫理が反転するんですよ。できない前提で備わった本能が、技術でできるようになったことによって、本能がエラーを起こすというように。
そして今は私たちがその倫理の反転のポイントをうっすらと感じはじめてきている状況なのだと思います。
おそらく私たちの中にその倫理が反転するタイミングが近づいている予感があるので、『ニムロッド』の中の最後の人間になるのが嫌だとみんなが感じるのだと思います。
だからそういった違和感や恐怖心にきちんと耳を澄ませて、私たちはではどうするかと今考えることが重要だと感じています。
おそらくはそう言った無意識化の危惧が『ニムロッド』と『キュー』という作品を書かせたんだと思います。
(おわり)
編集:設楽悠介/大津賀新也
作品紹介
『ニムロッド』(講談社刊)
それでも君はまだ、人間でい続けることができるのか。あらゆるものが情報化する不穏な社会をどう生きるか。仮想通貨をネット空間で「採掘」する僕・中本哲史。中絶と離婚のトラウマを抱えた外資系証券会社勤務の恋人・田久保紀子。小説家への夢に挫折した同僚・ニムロッドこと荷室仁。やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。すべては取り換え可能であったという答えを残して。第160回芥川賞受賞作品。
『キュー』(新潮社刊)
さあ、今から「世界最終戦争」を始めよう。人類を終わらせるんだ。
キュー、それは終末を告げる合図、あるいは孤独からの救済。
超越系の旗手、新芥川賞作家が放つ超・世界文学。ウェブ連載から更に飛翔した決定版。
前世に〈太陽〉と同じ温度で焼け死んだと話す少女が同級生だった「僕」は、この〈惑星〉で平凡な医師として生きていたが、いきなり「等国」なる組織に拉致された。彼らによれば、対立する「錐国」との間で世界の趨勢を巡り争っており、その中心には長年寝たきりとなっている祖父がいるという。その祖父が突然快復し失踪、どうやら〈私の恋人〉を見つけたらしい。一方、はるか未来に目を覚ました自称天才の男は迎えに来た渋い声の〈異郷の友人〉と共に、《予定された未来》の最後の可能性にかけるため南へ向かい、途中、神をも畏れぬ〈塔〉を作り〈重力〉に抗おうとした〈ニムロッド〉の調べが鳴り響く。時空を超えた二つの世界が交差するとき、すべては完成する……?