平野淳也がビットコインに出会うまで
−平野さんは高校生の頃から起業されていますが、なぜ当時起業したのですか?
僕は、基本的に友だちがとても少なかったです。高校時代から起業してビジネスを始めたのですけど、その理由は「世界を変える」といったような強い意気込みがあったわけではなく、友だちがいなくて暇でしょうがなかったからです。
だから修学旅行に行かずに、ビジネスの原資を作るためにバイトをしたりしていました。ただ、決して友達が欲しくなかったわけではありません(笑)。残念ながらできなかったのです。
自分が友達ができなかった理由を考えてみると、単純にコミュ障だったからです。その中でも大きな要因は、僕が高校生時代にテレビを見る機会が少なくて、クラスの友達との話題が共有できなかったからだと思います。
ビジネスの話題に戻りますが、僕が最初に始めたビジネスは古着ビジネスです。僕は、アメリカの古着がすごく好きだったので、古着ビジネスを選びました。古着の世界は基本的に独立することが前提なので、若いうちに始めてしまおうと考え、高校生の時に事業を立ち上げました。
−アパレル事業はどのように進めていきましたか?
はじめは仕入れた古着などを楽天市場やYahooに出品していました。そして、何度も仕入れをして売るサイクルを回していると、資金のボリュームが500万円くらいに膨らんできました。その後も順調にビジネスは大きくなっていき、高校3年生から大学4年生までやり続けました。
仕事に関しては、服の輸入ビジネスから入り、ビジネスを循環させていくうちにアパレル関係の知り合いが増えて、輸出の仕事も行うようになっていました。次第にアパレル以外にも貿易と物販領域の仕事を多く関わるようになりました。
ビットコインとの出会い
−いつビットコインに出会ったのでしょうか?
2013年の後半です。きっかけはニュースを見てビットコインを知ったことです。その当時、僕は貿易事業でアフリカや東南アジアの国と仕事していたので、1ヶ月で多い時は10回くらい国際送金をしていました。
しかし送金に時間が掛かるし、手続きが非常に面倒くさかった。だから僕がビットコインに対して初めて抱いた印象は、送金の手続きプロセスの改善ができる通貨という印象でした。
ただそこから無我夢中になってビットコインを調べてみると、国家も銀行も必要としないのに、通貨として成り立っているその仕組みは、送金としてのツールよりももっと重要な要素がたくさんあると感じたのです。
−当時ビットコインになぜそこまで、のめり込んでいったのでしょうか?
僕は貿易の仕事をしながらも2013年の後半に出会ってから、その翌年には完全にビットコインにのめり込んでいきました。
その当時、多くのスタートアップ業界の人たちが「ビットコインは重要ではないが、ブロックチェーンは重要である」と語っていました。その論調に関して、僕は明らかに間違っていると確信を持っていました。
当時から僕はビットコインが過小評価されすぎていると考えていました。
僕の周りの人々は当時、ビットコインが金(ゴールド)に近い性質を持っていることに気づいている人は少なかったと思います。ビットコインは送金しやすく、公共財として成り立っているのにも関わらず、その価値は金(ゴールド)の時価総額と大きくかけ離れていたわけです。
だから僕は当時からビットコインを買っておいた方がいいと強く考えました。しかし、2014、15年のビットコイン業界は誰も仕事が成り立っていない状況で、本当にお金がなかったです。仮想通貨取引所も当時は赤字でした。
通貨は人々にとって自由になるべき
−法定通貨と比べてビットコインのどんなところに可能性を感じますか?
最近は、日本人もお金のことをとても真剣に考えるようになってきています。その影響もあり、多くの人が「国家のお金は信用創造である」ということに気づきはじめました。つまり国家は、国債を発行すればいくらでもお金を刷れるのです。
僕は、法定通貨の真の価値が何だろうかと大きな疑問をずっと持っていました。ずっとビットコイン業界でもそれは議論されていましたし、自分は以前貿易の仕事をしていたのでその仕事で新興国に行く度に、弱い通貨をたくさん見てきました。
特に2015年にアメリカがリーマンショック後、8年ぶりに政策金利を利上げしたのは象徴的でしたね。この利上げによってドル高になり、新興国の通貨はドルに対して弱くなりました。新興国の人はその国の通貨で暮らしていて、銀行口座を持ってなかったりするので、換金する手段がないのです。だから半年で3割とかドル高になると、自分の貯金が3割下がるのと同じことになってしまうのです。
新興国の国民が金融的に不利な状況に対して何も対策が立てられないというのは、結構理不尽な世界だなと僕は思いました。だからこそ、僕は国家が発行するお金以外で、新しいオルタナティヴな手段が必要なのではという課題意識が強くありました。
具体的な例を挙げると、ベネズエラのハイパーインフレや2013年のジンバブエを見ていると国家のお金は、改めて信用できないわけです。アルゼンチンは15年に一回くらい、為替相場を清算しています。歴史を見ると、財政破綻した国はたくさんあります。日本でも戦後の1945年には、一度お金を全部没収されました。
だからこそ、僕は「お金は全然自由ではない」という事実を踏まえて、通貨は人々にとって自由になるべきだし選択肢が人々に与えられるべきだと思ったのです。
−平野さんが出会った2013年から現在までどのように平野さんはビットコインや仮想通貨をみてきましたか?
2014年頃はビットコインに対する世間からの風当たりが最悪で、ビットコインの価格はダウントレンドだった時期でした。それは、マウントゴックス事件の後だったことも影響しているでしょう。また当時は世間の人に対して、ビットコインの説明をするハードルが今よりも非常に高くて、なかなか理解してもらえなかったことも覚えています。
しかし2015年になると風向きが変わり、シリコンバレーエリアでピーター・ティールやマーク・アンドリーセンがCoinbaseとかEarn.com(21inc)といったビットコイン企業に投資し始めたのです。
それから日本のスタートアップ業界もビットコイン企業をフォローしはじめるようになって、ブロックチェーンが来ているよねという雰囲気になりました。僕は2016年くらいまではずっとビットコインを買い続けて、その重要性を説き続けてきました。
(第2回につづく)
→つづきはこちら「平野淳也が思い描くの仮想通貨の未来〜HashHub 平野淳也氏インタビュー(2)」
参考リンク
・仮想通貨(暗号資産)とブロックチェーンに特化したリサーチコミュニティオンラインサロン「d10nLab」
・ブロックチェーン特化したコワーキングスペース「HashHub」
(取材日 2018/7/17)