ブロックチェーンで変える僕たちの「自由」と「平等」。
ブロックチェーンエンジニアの落合渉悟氏の初の著書『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』が上梓された。web3関連の出版が相次ぐ中、異色の存在感を放つ本書は、DAO(自立分散型組織)が世界を再構築できるのかについて、思考を巡らせた1冊になっている。書籍の中で落合氏が現在開発を進めているDAO作成プロトコル「Alga(アルガ)」についても紹介されている。
「あたらしい経済」は本書の出版を記念して書籍の中に収録された落合氏と3人の有識者の対談パートの一部を「試し読み」として公開する(全3回)。
今回はITジャーナリスト星暁雄氏との対談『ブロックチェーンで変える僕たちの「自由」と「平等」。』の一部を公開する。
ぜひこの記事で書籍の魅力にふれ、本書を手にとっていただきたい。
自由と平等は技術で追求した その結果、権力の集中が起きた
落合(以下:O):対談の最後を飾るゲストはITジャーナリストの星さんです。「ITと人権」がご専門の星さんに、DAOと人権について伺います。
星(以下:H):落合さんとは、私がブロックチェーンに興味を持って取材していくなかで知り合ったんですよね。
O:はい。最初にお会いしたのは、福岡のイベントだったと思います。ブロックチェーン関連の。
H:そこで、ナラティブ(語り口)の面白い人だなぁという印象を受けました。ブロックチェーンは自然現象のようなものだから、デジタルネイチャー *1 の概念が適用できるんじゃないかと話されていて、面白いなぁと。私もブロックチェーンは、ある意味で、物理現象的な性格があると思っていたんですよ。
O:星さん、物理のご出身なんですよね。僕も物理学徒です。
H:私はちょっと変わっていて応用物理の中で情報工学に軸足を置く研究室でしたが、おっしゃることはとても納得できました。当時落合さんは、ブロックチェーンの高速化技術であるレイヤー2 *2に取り組んでいて、その話をいろいろ聞いた記憶があります。
O:高速化によってユースケースが変わってくるので、実現可能性を確かめていました。
H:その過程で落合さんはいろいろなアイデアに目覚めていかれた。「世界との契約」という言葉を見つけた辺りからだったと思いますが、ブロックチェーン上でできることを技術的文脈で追いかけているうちに、技術の壁を突き破って、社会科学や人文科学のフレームワークやボキャブラリーを使わないと語れない領域を考えるようになっていった。そうした突破を面白いなと思って見ているうちに、私自身にも新しいフレームワークが必要だと気づいたんです。それが今日お話しする、「テクノロジーと人権」に関わるものです。
なぜ新しいフレームワークが必要かという前段として、コンピュータとインターネットの歴史を簡単にお話しするとわかりやすいと思います。
パーソナルコンピュータって、最初は「おもちゃ」扱いされていたんですよ。1970年代にアメリカのホビイストや学生たちが作り始めたんだけど、初めのうちはプロは歯牙にもかけなかった。
O:面白いですね。でも、ファンはいたと。
H:熱狂的なファンがつきました。当時、コンピュータの概念って巨大な計算機で、権力の象徴に思われていたんです。その対極にある、おもちゃのようなパーソナルコンピュータがやがてメインストリームになっていった。その背景には「ムーアの法則 *3 」の影響があります。コンピュータの中心部が1個の半導体になったことで、猛烈なペースで性能とコストパフォーマンスが劇的に改善されていった。できることがどんどん広がり、しかも安価になり、たくさんの人に行きわたった。
初期のパーソナルコンピュータを推進した人々は「自由と平等」を追究しようと考えていました。大企業や大学、研究所などにいる一部の特権的な人々しか使えなかったコンピュータを、万人に開放しようとした。それを多くの人が受け入れた。インターネットにも符合する歴史があって、最初は通信のプロからは重視されていなかったんですよ。1980年代の半ば頃の情報通信のプロは、IBMなど大企業が開発した情報通信技術が標準化されて主流になると考えていた。インターネットは、大学や研究所にいるコンピュータサイエンスの研究者たちが好んで使うマイナーなネットワークでしかなかったんです。ところが、蓋を開けてみると、自由と平等の原則に沿って発達したインターネットが商用化されて爆発的な人気を獲得し、メインストリームになっていった。
コンピュータの使い方も大きく変化します。大型コンピュータは、例えば給与計算、会計、科学技術計算のために使われていました。ところがパーソナルコンピュータの普及で、個人が使うワードプロセッサやスプレッドシート(表計算ソフト)が登場します。そしてインターネットの普及によって、コンピュータは電子メールなどを使って人々とコミュニケーションするための機械となる。今の時代のスマートフォンの使い方は1960年代の大型コンピュータとはかけ離れています。
O:面白いですね。コンピュータのイデアが移り変わっていく目まぐるしい時代だった。
H:はい。専門家がバカにしていたものがメインストリームを取る現象は、歴史を振り返ると、様々なところで起きています。なぜこれが起きるかと言えば、もちろん偶然の作用はあるんだろうけど、合理的な理由もあった。大きなポイントは、先ほども言った自由と平等ですね。専門家はどうしても既存の権威や序列に引きずられる。一方、メインストリームとは違うところから出発したパーソナルコンピュータやインターネットは、自由と平等を推進する性質を備えていて、だからこそ多くの人々がそれを求め、普及した。
そしてここからが本題ですが、では誰もがインターネットを使える自由で平等な時代が到来したら、素晴らしい世界が実現したかと言えば、そうではなかった。何が起きたかと言うと、巨大テクノロジー企業への権力の集中です。例えばGoogleって、あるときまで、世の中を良くしてくれる、素晴らしい企業だと思われていましたよね。
O:Web2.0の頃とか、すごい勢いでしたよね。
H:革新的なことを始めて、世の中を良い方向に変えてくれると思われていたんですが、その後、どうも流れがおかしいと。結局、彼らは市場で成功しすぎたんです。その結果、権力を持ちすぎてしまった。資本主義には、公正な競争状態を維持するための「独占禁止法」があるけれど、Googleは圧倒的なスピードで成長したがゆえに、独占禁止法の適用審査をまだ受けていない。そのくらいの急成長と、権力の集中によって、あれ?と思うようなことが起き出したのが、ここ数年です。
O:例えばどんなことですか?
H:一番わかりやすいのが、広告主導のビジネスモデルですね。Googleは広告主とビジネスをしているわけですが、広告の露出機会は、ユーザーがGoogleを使うことによって生まれます。ユーザーの関心に一致すると判断したら、ユーザーにとって不利益な広告でも表示してしまう。例えばギャンブル依存症の人にカジノサイトの広告を表示してしまう場合もありうる。つまりGoogleは、ユーザーを売り飛ばしてお金を稼いでいる。
O:しかも消費を喚起するエンジンはずっと回り続けている。宣伝広告は資本主義の権化だという話は、内田先生との対談でも出ました。
H:実は出版業界にも、関心を持つ人に向けて広告を出すという点では似た構図はあるんです。私も広告なくしては成り立たない雑誌出版社にいたことがあるからわかりますが、だからこそのモラルがあった。広告と編集を切り離すとか、越えられない一線は守るとか。出版社は長年にわたる社会的経験によって、ある種の規範を持っているものです⸺たまに規範を外れたことをしでかす場合もありますが。ところがGoogleのような新しい会社には、規範がない。規範のない会社が成功しすぎると歪みが生じる。ついに2019年にアムネスティ・インターナショナルという人権団体がGoogleとFacebookの広告主導ビジネスモデルは大規模監視に基づいており人権に対する深刻な脅威であるという長いレポートを出しました。「Don’tbeevil(邪悪になるな)」を行動規範としていた会社がアムネスティから人権侵害だと指摘されるという、とんでもない事態になったわけです。
O:「Don’tbeevil」の「evil」が何を指すのかが、たぶんわかっていなかった。
H:そうでしょうね。売れるものを売れる人に売るのが資本主義だと、彼らはきっと思っていた。
O:法律に書いてないからいいでしょう、という話でもある。判例法主義の重みが強く、法曹人材が豊富なアメリカらしい考え方ですよね。
H:そうなんですよ。アムネスティは「人権」という規範があるから、Googleのやっていることは人権に対する脅威だと言える。これがヒントで、つまり成功しすぎたテクノロジーカンパニーにも「人権規範」が必要だということです。
GoogleがAI科学者を解雇──きな臭い事件の背景にあったもの
O:今はまだそれが弱いですよね。法的な縛りも整備されていませんし。
H:そうです。ただ問題点は共有されつつあって、エシカル(倫理的)AIとか、AI倫理という言葉が出てきています。GoogleにもエシカルAIの専門家はいるんですが、2020年に、エシカルAIチームのリーダーが突然解雇され、大きく報道されました。
解雇されたのは女性科学者のティムニット・ゲブルさん。表向きの解雇理由は、社内規約に違反したということになっているんだけど、状況証拠から言えるのは、彼女が準備中だったある論文が、Googleが進めようとしていたAIテクノロジーに対する批判を含んでいた。これが原因にあるとおおむね見られています。
どうもゲブルさんは、「大規模言語モデル」と呼ばれるAIテクノロジーの問題点を指摘しようとしていたようです。これは膨大な量の文章を使って訓練して生まれた画期的なAIで、中でもOpenAIという団体が作ったGPT-3 *4 は話題になりました。人間が1行から3行程度の短いフレーズを入れると、400文字とか800文字といったまとまった文章が生成できます。しかも例えばハリー・ポッター風の文章を入れると、ハリー・ポッターを読んで学習しているから、ハリー・ポッターライクな物語を勝手に紡いでくれる。これ、恐ろしいのは、新聞記事風の文章も簡単に紡ぎだせることです。
O:フェイクを呼びますね。
H:そこです。このAIが作ったでたらめの記事を、88%の人が見破れなかった。本物らしい記事がいとも簡単に書けてしまう恐ろしさ。
O:たちの悪いソーカル事件 *5 のようなことが起きると。
H:問題は、内容がフェイクであっても、AIはまったく気にしないところです。大量のテキストを学習して、それらしい文章は紡ぐんだけど、紡いだ内容が事実に即しているかとか、論理的な整合性が取れているかは、AIはまったく考慮しないわけです。
O:しかも大規模言語モデルは、計算機を足していけば、どんどん性能が良くなったり、単価が安くなったりと、スケールしていく仕組みですよね。
H:はい。計算能力が高くなればなるほど、巨大な言語モデルを扱えるようになります。で、Googleといえば巨大な検索エンジンで知られており、当然のように非常に巨大な大規模言語モデルを作る能力を持っている。
O:相性が良さそうですね。会社としては、常時、情報を集めたくなっちゃう。
H:でしょう。先ほど説明したGPT-3という大規模言語モデルを開発したOpenAIは論文を公開していて、そこには問題点もちゃんと書いてあって、注意して使ってね、限定的に使ってねと抑制を促しているんですよね。Googleを解雇されたティムニット・ゲブルさんも、そうした問題点を指摘したのだろうと推測されています。
彼女は他に、顔認証システムについても研究を行っているんです。
O:人種的な問題が指摘されていますね。認証の精度が有色人種では低いと。
H:そう。顔認証に潜む人種差別、それからプライバシー侵害にも非常に問題があるという指摘も行っているんです。だから、「しばらくは顔認証の利用や開発を止めるべきだ」という発言もしています。これもおそらく、テクノロジーカンパニーにとって歓迎すべきことじゃない。解雇とどう関係していたかはわからないのですが。
O:AI企業がAIを批判する研究者を雇い続けなければいけないとは、法で定められていないがゆえに、解雇しても文句を言いにくいところがある。
H:表向きは別の理由をつけて解雇したんだろうけど、今私がお話ししたような疑惑があるということです。きな臭いことが起きている。
私は落合さんと話をするようになってから興味を持って調べ始めて、アメリカやヨーロッパのテクノロジーの最前線で起きている様々な事件に行き当たりました。とりわけビッグテックと呼ばれる巨大IT企業と人権規範のあいだで起きている軋轢や矛盾が、英語圏のメディアにはたくさん載っているんです。日本語のメディアではまだあまり読めないんですが。
O:それは読者の関心や危機感が相対的に低いからですか?
H:そうかもしれませんね。今日は「テクノロジーと人権」というテーマで対談していますが、こういう企画、日本のテクノロジー系のメディアでは、あまり見ないですよね。
O:ストップがかかるんでしょうか?
H:やはり認知度が低いんでしょう。私は落合さんとの議論をきっかけに、「テクノロジーと人権」という、今やらなければいけないテーマに気づけて良かった。
O:光栄です。
H:自由と平等はテクノロジーの力で拡大できるんですよ。パーソナルコンピュータやスマートフォンとモバイルネットワークが普及して、インターネットは世界人口の半分まで行き渡っています。いつでも誰とでもつながれるようになった。ところが、ここが肝なんですが、自由と平等を推進した結果として、格差が広がったんです。
O:主に経済格差ですね。
H:そうですね。巨大なテクノロジー企業の搾取的なビジネスを止めるものがない。それを止めるのが独占禁止法であり人権規範であるはずなのですが、まだ弱いということです。しかし一方で、2005年くらいから金融経済の分野で新しい動きが出始めています。2006年に国連から責任投資原則(PRI)*6 という考え方が出てきます。2019年には経済界の集まりの中から「ステークホルダー資本主義」*7 という考え方が登場します。金融経済のメインストリームに人権規範がインプットされてきています。
MDGs(ミレニアム開発目標)、その後継のSDGs(持続可能な開発目標)、それにESG(環境、社会、企業統治)という概念もそうですが、経済成長以外の指標が導入されて定着しつつあります。会社の評価に、財務諸表だけでなく、「人権」や「環境」といったファクターが入るようになっています。
O:人権や環境に取り組んでいる企業は、資金調達が有利になったりもしますよね。
H:実際、IFRS(国際財務報告基準)の中で、環境に対する取り組みを開示しようという流れが進んでいます。それから「人権DD(デューデリジェンス)」も広がっていますね。これは投資先の価値やリスクを調査することで、例えば投資先が、サプライチェーンにまたがって人権侵害に当たるような搾取的な調達をしていないかなどを調べるんです。例えば新疆ウイグル自治区で労働者に強制労働をさせている工場を使っていないか、とか。
O:ブロックチェーンは電気を使いすぎるから環境に良くないとか、NFT(非代替性トークン)が温暖化を進めるといった、一見、飛躍したように感じられる批判と、文脈が近いですね。
H:近いです。今の議論では、「人権と環境はつながっている」という論調が出てきています。地球温暖化の脅威にさらされない権利も、人権のひとつと考えられるようになってきた。だから、ツバルが沈まない権利も、バングラデシュが洪水に見舞われない権利も、東京の下町が水浸しにならない権利も、すべて人権のうちだよね、というわけです。
O:誰かに負担を押し付けている構造全体を改善していこうという動きが広がっている、とも言えると思います。
民意だけ意思決定をするAlgaは人権システムの一部になり得る
H:人権の細分化、詳細化も進んでいます。国連が世界人権宣言を採択したのは1948年ですが、その後、様々な国際条約ができて体系化されていく。体系の拡張は今なお続いていて、私の関心領域である「インターネットと人権」で言えば、2016年に国連人権理事会で新たな決議が可決されました。「オンライン上の権利は、オフラインと同様に守らねばならない」という決議です。例えば表現の自由、集会の自由、話し合う自由は守らねばならないし、ゆえにインターネットの検閲は、新聞や雑誌の検閲と同様に人権侵害だということが確認されたわけです。
2010年から12年にかけてのアラブの春(アラブ諸国の民主化運動)のときに、インターネットを遮断した国が相次ぎましたよね。これがきっかけになって、インターネットにも人権憲章が必要だという議論が広がっていったという背景があります。ただ、意地の悪い人は、インターネットの人権を明文化しても「実効性」はないじゃないか、と言うんです。実際、人権には強制力が弱い側面があります。世界人権宣言そのものは宣言であって法律ではないし、国際人権規約という国際条約ができた後も、例えば日本の司法はその適用に消極的と言われています。国際司法裁判所や個人通報制度など⸺日本は個人通報制度はまだ取り入れていないのですが⸺そうした人権を守るための様々な制度はありますが、その実効性はまだまだ不十分かもしれません。例えばウクライナの戦争はあれだけ広く報道されたのに、国際社会は人道危機に対して有効な対策を打ち出せなかった。だからウクライナの大統領は「国連を改革せよ」と言った。それでも、人権を守る取り組みを推進して国際人権法に実効性を持たせていく努力は必要です。そして、人権をアップデートして明文化していくことは取り組みの出発点として非常に意味のあることなんですよね。
O:実効性がないのではなく、時間はかかるけれど、徐々に実効性を持たせられると考えることもできますよね。遅効性である、というか。
H:そういうことですね。人権問題の発展において国連が挙げる成功事例として、南アフリカのアパルトヘイト撤廃があります。国連がアパルトヘイトを問題視してから、実際に撤廃されるまで約30年かかりました。この期間をどう見るか。そんなにかかっちゃダメだと考える人もいるかもしれませんが、しかし30年かかったとしても実現したことは大きな進歩だと見ることもできます。
O:30年というスパンで見れば、権利闘争は確実に成功したわけですから。
H:そうなんですよね。そうやって長い年月をかけて勝ち取ってきた権利がある一方で、「テクノロジーと人権」の議論は始まったばかりです。そして、さらに新しい切り口が「ブロックチェーンと人権」です。パブリックブロックチェーンも、自由と平等を推進する性質を備えています。ここからは落合さんにお伺いしたいのですが。
O:はい。僕は6年間、ブロックチェーンに関わってきているんですけれど、Algaは人権システムの一部になり得るという仮説を持っていて、これからそれを実証していきたいと思っているところです。
では、なぜAlgaが、人権を保護する機能をプロトコルとして現実的に獲得していけるのか。それは、Algaは原則として1人1票を採用しているにもかかわらず、一方で誰の許可を得ずとも始められるという、民主主義とクリプトの相反する利点を同時に兼ね備えているからです。
Algaは参加メンバーを、互いに承認したり、匿名で投票したりして決められます。つまり途中に政治家を介する必要がなく、参加者のエトスとか、こうするのが善だよねという「民意」だけで意思決定できる。「民意」だけでお金が動かせる点が、Algaのユニークなところなんですね。例えばある川が氾濫して堤防が壊れたとします。この時、堤防の近くの地域だけでなく、ダメージを受けていない地域の住民も、うちもお金を出そうという意思決定ができる。つまり市場原理では解決できない種類の問題解決にも使える、ミニマムな構造です。例えばこれまで「寄附」というと、自分が持っているお金を寄付するしかなかったですし、美人投票的に日の当たっている場所にある事例、目立つ事例だけが支援されてきたんですが、Algaを使えば、自治体に貯まっている余剰資金を、熟議に基づく注意深いみんなの合意で寄付する、という方法も可能になると思います。
H:自治体の長が意思決定をするのではなく、みんなで決める、合意形成するところがミソですね。
O:そうですね。「国家」という概念を前提としていない、この小さなコミュニティのメッシュネットワークが、人権保護を実現し得るのではないかと、僕は仮説を立てています。
H:とても面白いと思います。すでに話したように、自由と平等だけでは不十分です。フランス共和国の標語は「自由、平等、友愛」でしたよね。自由と平等は人権の不可分な要素だけれども、そこに友愛の要素が欠けていると権利の衝突、リソースの奪い合いが起きて、結局のところ大きい会社が勝ち、力のあるものが得をし、弱いところにしわ寄せがいく。市場原理だけでなく、弱い立場の者でも有効な異議申し立てができる仕組み、つまり民主主義が必要です。
世界的に人権侵害というと、今のウクライナの戦争とか、ミャンマーで市民が法執行機関に殺されるといった、深刻な事態に目がいきます。もちろんこれらは是正されるべき大きな問題なんだけれど、同時に日本にも問題はたくさんある。日本に潜む不平等や不均衡を、自分たちの周りから変えていくにはどうしたらいいかと考えていくと、新しいフレームワークが必要だというところに行き着くんです。
今、私たちは暗黙のうちに、「功利主義」というフレームワークを使っています。なぜなら、功利主義は資本主義の経済原理と親和性が高いから。プロセスよりも結果を重視し、メリットとデメリット、損得で物事を判断する考え方が、世の中の隅々にまで行きわたっているんだけど、功利主義にはひとつ弱点があります。それが、「やってはいけない」という考え方がないことです。この「やってはいけない」を考えるフレームワークが、カント哲学の用語を使えば「義務論」です。「人権」という概念の成り立ちは、ざっくりいうと、この義務論をわかりやすく、使いやすくしたものです。カントが出てきましたが、何も難しいことを言っているのではなく、今話したことはすべて、子どもの教科書に書いてあったんですよ。高校の現代社会の教科書にカントの義務論が出てくるし、アマルティア・センまで出てくるんです。
O:アマルティア・セン *8 が高校の教科書に。それは素晴らしいですね。
H:つまり人権が大事だというのは、高校生の教科書を勉強していればわかること。せめて高校生レベルの倫理学の知識を、もう少し普及させたい。私は、人権規範を適用すれば、今ある社会の歪みや問題点を改善するうえでの見通しがかなり良くなると思っています。そのときに大事なのは、科学的な態度に則ることです。
私が言う科学的な態度とは、反証可能性を担保することですね。自分に都合のいいことばかり言うのではなく、反論できる材料や余地を用意する。
O:反論の余地のない、そういう意味で完璧そうなものは、つまり科学ではない、と。
H:そうです。自分の仮説に都合のよい事実だけをピックアップして理論を組み立てることを「チェリーピッキング」と言いますが、これは科学的ではない。
O:僕の言葉だと、アサンプション(前提)を明示すると言います。
H:はい。アサンプションを明示して、間違いがわかったら正していくのが科学なんだけど、そういう作法を怠る人がいる。都合の悪い事実を隠す。
O:詭弁の常套手段ですね、アサンプションを隠すのは。どんなにIQが高くても、自分の信念が中心にある人は、チェリーピッキングを重ね、アサンプションを除外していく。これをやるんです。
H:それが間違える原因になります。だからエリートの独裁は間違えるんです。落合さんからこの対談の前に「なぜIQの高い人は間違えるのか」というお題をいただきましたが、ここでようやくつながりました。非効率に見えるかもしれないけれど、民主主義でワイワイとやる⸺異議申し立てを積み上げて熟議を重ねるやり方のほうが、結局は間違えない。
O:私の言葉で言うと、すべてのものは「分散的」であったほうがいい。
H:まさに分散的なのがいい。頭の良い人が自分の信念や目の前の情報から導き出す答えが正しいとは限らない。正しい場合もあるけれど、間違っている場合も少なくない。
でも、日本のいろんな場所で、こうしたことってスタンダードになっています。お役所では有識者会議で決まったことがそのまま政策になるし、会社では、偉い人が言い出したことを下の者が粛々と実行していくとか。偉い人や頭の良い人が決めるパターンがはびこっているわけですが、本当は熟議して民主主義を実行するほうが間違えないはず。そのために熟議民主主義を実現するツールとして落合さんはAlgaを作ったと理解しています。
(書籍につづく)
1:「コンピュータと非コンピュータリソースが親和することで再構築される新たな自然環境」というメディアアーティスト・落合陽一が提唱する概念。
2:ブロックチェーン上(レイヤー1)に記載されない、ブロックチェーン外部で取引を行うオフチェーンのこと。ブロックチェーン本体のシステムの処理に負荷がかからず、高速な処理ができることでスケーラビリティ問題を解決できる。セカンドレイヤーとも呼ぶ。
3:インテル社の共同創設者であるゴードン・ムーア氏が1965年に米「ElectronicsMagazine」誌で発表した半導体技術の進歩についての将来予測。「半導体回路の集積密度は2年で2倍となる」という法則。
*4:「GenerativePre-trainedTransformer」の略。イーロン・マスクなど有力な実業家・投資家が参加したことで注目を集めたOpenAIが開発した1750億個のパラメータを使用した大規模な文章生成言語モデル。
5:ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカルが、ポストモダン思想家の文体をまねて科学用語と数式をちりばめたデタラメな論文を1995年に現代思想系の学術誌に送ったところ、そのまま受理・掲載される。後に無内容であることを本人が暴露した。衒学的な真偽を判断しにくいフェイクの人文系論文を当世の学者が評価してしまった事件。
6:PrinciplesforResponsibleInvestmentの略。投資家に対して、持続可能な社会の実現を後押しするために、企業の分析や評価を行う上で長期的な視点を持ち、ESG
(環境:Environment・社会:Social・企業統治:Governance)の課題を投資の意思決定プロセスに組み込むことを求めるもの。
7:株主の利益を第一とする従来の「株主資本主義」とは異なり、企業が従業員、取引先、顧客、地域社会といったあらゆるステークホルダーの利益に配慮すべきという考え方。
8:ハーヴァード大学経済学・哲学教授。1998年、厚生経済学への貢献によりアジア人としてはじめてノーベル経済学賞を受賞。1933年インド・ベンガル地a方生まれ。経済学と哲学を接合する独特のアプローチをつくりあげ,経済学のみならず哲学,倫理学,政治学などにも大きな影響を与えている。
書籍情報
『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』落合渉悟(著)/フォレスト出版
ブロックチェーンが切り開く新しい国家の地平線
海の向こうでは理不尽な戦争や政治的な混乱――。
翻って国内に目を向ければ政治腐敗や富の不均衡、経済の停滞、人権軽視――。
未来の展望を築けない若者は、選挙に行く気力さえ持てない。
こんな世の中を大きく改善する可能性を持つ技術が現れた。
それが――ブロックチェーンだ。
ブロックチェーン技術を利用すれば、従来の国家的枠組みから完全に分離したバーチャルな“独立自治体”の創設も不可能ではない。
本書は「Ethereum界の奇才」と呼ばれるブロックチェーン技術の第一人者であるエンジニア・落合渉悟が、ブロックチェーンを基盤にしたDAO(Decentralized Autonomous Organizationの略=自立分散型組織)によるメタ国家を生み出すプロジェクト「Alga」を通して、Web3技術による新たな世界構築の可能性を探る。
仮想共同体の構想を通してDAOの本質を学ぶ!
プロフィール
落合渉悟
思想家/人権ハクティビストイーサリアム関連技術研究者/開発者/ブロックチェーンエンジニア大阪大学大学院情報科学研究科情報数理学専攻スマートコントラクト活用共同研究講座特任研究員
2016年よりブロックチェーンの高速化に関わる研究で実績を残し、現在はDAO(自律分散型組織)型自治プロトコル「Alga(アルガ)」ファウンダー。情報科学全般の広く深い知見に加え、制度設計の基礎を踏まえた洞察や、アクティビズムの実戦に即した民族学的分析に長けており、パブリックチェーンが社会に与える影響を遠く見通しながら多くのユニークなプロジェクトに知見や実装を提供している。とくに制度設計に精通しており、「the fairest democracy」というTEDxtalkはブロックチェーン時代の民主主義について世界的な議論を巻き起こした。
星暁雄
ITジャーナリスト
早稲田大学大学院理工学研究科修了。1986 年日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。『日経エレクトロニクス』『日経Java レビュー』などで記者、編集長の経験を経て、2006年からフリーランスのITジャーナリスト。専門はソフトウエアを中心とするIT領域全般。特に革新的なテクノロジー、スタートアップ企業、個人開発者の取材を続けてきた。最近はブロックチェーン技術と暗号通貨、そして「テクノロジーと人権」に関心を持つ。